兄からのプレゼント
- それは、やぁやが 中学生に上がったその年の冬休みの頃だった。
7つ年上の兄ちゃんが突然「赤毛のアン」と書かれた肌色の小さな文庫本を
「これ読んだらいいよ 」と手渡してくれた 。
その頃の実家のお風呂は五右衛門風呂で、中学生になったばかりの 私はお風呂わかしの当番 。
兄から貰った「赤毛のアン」を お風呂場の焚き口の炎の明かりで 読みふけるのが楽しみとなった 。
私が13歳。兄は大学2年生で、二十歳になったばっかりの冬休み頃だろうか ・・・
私には三人の兄がいて一番上の兄だけをみんなで「兄ちゃん、兄ちゃん!」と呼んでいた。後は名前と「ちゃん」で呼び合っていた。当然ワタシをちゃん付けする兄弟はいなかった。いつも呼び捨て、辛うじて母と祖母だけが機嫌の悪くない時だけは、「ちゃん」付けしてくれた。
小さい頃の写真を見ると、小学校3年生くらいだろう白のランニングシャツ姿の兄が、まだ2歳にもならないくらいの、これもお風呂上がりの クレープ地の白の下着姿の私を膝の上に抱っこして写っている。
今から思えば兄ちゃんは小さい時から色々と私の面倒を見てくれた。
そういえば自転車の練習も兄だった。
近くの畑の畦道で、 私にはまだ大きすぎるような大人の自転車の乗り方を、強く怒りもせず教えてくれたのも兄だった。
その頃の実家の仕事は忙しくて 、両親もおばあちゃんも 働きづくめだった 。
小学校の入学式も母は仕事で、父が代わりに背広を着て写真に写っていたし、どの子も家族のついていく遠足もひとり寂しく行った記憶がある 。
そういう中で兄の存在は格別なもので、
そうそう! おやつも作ってくれたっけ。穴の空いてないドーナッツ。熱々で甘くて美味しかったのを覚えている。 兄が何度となく台所に立って料理している姿が目に残っている 。
おばあちゃんとの別れ
若い時にご近所から「おりょうさん」と呼ばれていて、婦人会の料理教室で、お寿司やマヨネーズを習ってきては、母と仲良く作っていたことを思い出す。
私を一番可愛いがってくれたその祖母は、私が中学2年の6月に他界した。
が、その日の朝に兄がおばあちゃんのために朝ごはんの卵焼きを作って食べさせたそうだ。
可愛い孫の作った朝ごはんは、一番のご馳走だったに違いない 。
手作りの勉強部屋
私が中学生になった頃 、庭先に兄の部屋があってそのすぐ横に父が私の部屋を手造りしてくれた。
毎晩 、夜遅くまで勉強している兄の気配と、隣の家から聞こえてくる、兄とは2つくらい年下の頭の良いM子ちゃんの英語のリーディングの声を子守歌にしていた 。
それでか、大きくなったら机に向かって勉強するのは至極当たり前なことだと 思っていたような気がする 。
考えてみると 、環境とは恐ろしいものだなと思う。私の場合は見習うべき優秀な人たちが、さりげなく周りにいてくれたことは幸運 なことでした。
バレーボールとの出会い
私が中学の時にバレーボール部に入ろうと思ったのも兄の影響と言えるかも知れない 。
兄はよく家の前で、バレーボールで遊んでくれた。
両親から私の子守を頼まれていたのかも知れないが。
ブラスバンド部からバレーボール部へ
私は小学生の時から音楽が大好きだったので、迷わず中学ではブラスバンド部に入部して、サクソフォンの練習に余念がなかった 。
秋の体育祭の時にはワーグナーの行進曲の「双頭の鷲の旗の下に」など2〜3曲を演奏を出来るまでに成っていた。
されど、
体育祭の後、私の身長が人より高いっていうこともあって、体育の先生からバレーボールに誘って頂いて、あっさりとバレーボール部に転部してしまった。
ただなんとなくさしたる理由もなく。
でもこのわけもなくただなんとなくの感覚を大事にして良かった!
体育系の部活に入部して、まず良かったことは、様々なきついトレーニングの中で、体力と精神力と巧緻性。つまり目的に向かって一生懸命悩んでみんなと協力して、みんなで工夫する力が身に着いたこと だった。
高校バレー部での学び
私の入学した高校のバレー部では部員一丸となって練習したり、たまに OB の先輩が来てしごいてもらったり 、みんなで遠くまで走ったり、グランドにあるコート整備をしたり 、強くなるために意見を戦わせたり、上級生みんなで練習試合を計画したりすることもあった。
純粋な、デリケートな10代後半の時期に 、こんな風に 何事も精一杯、体も心もぶつけ合って 、いろいろな、真剣で純粋で面白い人たちと出会えたことが、今となっては 、最高の財産となった。
選んで来たのは私かもしれないけれど、素敵な選択肢を 与えてくれた兄や家族や友達先輩に感謝したいと思う 。
ところで実家の五右衛門風呂はもうアツアツ!
「もう 、燃やさんでいいよ 、ありがとう !」の母の明るい優しい声が懐かしい。
一気に読んだ赤毛のアン11巻とエミリー3部作
部屋に戻り、赤毛のアンを一気に読み終えて、巻末に紹介されていた次巻の「アンの青春」を読みたくて、明日、本屋さんに行くのが待ち遠しくてワクワクしたこと覚えている 。
それから最後の11巻「アンの想い出の日々」までを読み終えるのに大して時間はかからなかった。更にルーシー・モード・モンゴメリ著、村岡花子訳の本を見つけて 、「可愛いエミリー 」「エミリーはのぼる」 「エミリーの求めるもの 」のエミリー三部作 も含めて一気に読んでしまった
これらの優れた児童文学に幼い頃に接することができて、
私は本当に幸運だったと思う 。
人生の節目節目の曲がり角で、いつもなんとなく、夢と希望を選んでこれたように思う 。
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