(82)100歳になる父と  r3-7・21

その他
徒然に・・・

コロナ禍。

オリンピック前に4月に逝った母の初盆へ。

2日だけの京都。

混雑しそうなオリンピック前に済ませたかった。

新幹線はジパングで。

一つの車両の6割ぐらいの人出。

それぞれマスク・ソーシャルディスタンスと車内放送。

前から予約していた父との面会。

少し前に、姉は、父が熱が高かったため会えなかったそう。

昨日はタイミングよく父の調子が良かった。

車椅子押してもらって、背筋をピンとして私の方にやってきた。

まだまだしっかりしているもうすぐ100歳。

・二人一緒に!

私が近づくと、

うつるから近づくなと言う。

まだまだしっかりしている。

パーケーション越しにもじもじしていると、

係の方が、

そばで励ましてあげて下さいと手を差し伸べてくださった。

即座に父のそばに駆け寄って手を取って、

服の上から痩せた足をさすり、背中をさすった

父は、

来てくれたか!

「もう思い残すことはない」

死にそうに私をしっかり見ながら言った。

「100歳までもう持たない」と頭を横に振りながら、

「足も駄目になって、もうだめだ・・・」と悲しそうにいう。、

すかさず笑顔を作って、

もうすぐオリンピックだけれど手も足も動かない人が元気に頑張ってるよ。

お父さんも頑張ろうね!頭はしっかりしてるよ!

しゃべることもしゃべる相手もいないいなくなったという。

マイナスの言葉が溢れ出てくる

98歳だった母は面会の度に死にたい死にたいと言っていた。

知り合いや友達は全部亡くなった。

会うたびに死んだ友達の名前を、

両手の指を一本ずつ折りながら数えていた。

母の霊前に九州の甘いブルーベリー

それでも、

同じ介護住宅に差し向かいの個室で数年一緒に暮らせた。

昨年春には二人歩いてお花見に、兄が連れ出してくれた。

50歩ぐらい歩いた距離にいつも兄夫婦がいてくれた。

二人は幸せだった。

一人娘の私は九州に嫁ぎ、寂しい思いをさせた。

でも精一杯親孝行しようと努力した。

今回も、骨となった母と寂しそうな父に面会ができた。

歌を歌うことが好きだった父母。

お父さん,歌ってみようか?

藤原義江のどんとどんとどんと・・・の歌。

一緒に歌った。

しっかりした声も出た。

2番の歌詞までしっかり覚えている父。

大丈夫!100歳まで大丈夫だよ!

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